2006年 08月 29日
『マッチポイント』のうがった見方
ウディ・アレンの面白さは他人任せにしている私だが、
『マッチポイント』は面白かった。
出てくる人々が皆、ちょっと嫌な感じなんだけど、
それがすごく普通に見えるのだった。私やあなたのように。


『マッチポイント』を観た日、
その前に
『セプテンバー・テープ』という映画の試写を観た。

これは

「9.11テロから1年後のアフガニスタン
 戦場の生々しい緊張を8本のテープが再生する」

というコピーのついた映画で、
戦時下のアフガンにクルーが行ってホンモノの映像を交えて作った
ドキュメンタリー風ムービーな訳だが、

ア○公がわざわざ戦時下のアフガンまで行って、
出来た映画がこれかよっ!?
『ユナイテッド93』(観てないけど)とか
『ワールド・トレード・センター』(まだ観てないけど)はまだしも
全く他所の土地まで行って、自己憐憫もいい加減にしろよ!
というものだったのである。


不穏な表現が出ないうちに
話を『マッチポイント』に戻すと、


※ネタバレ注意


まんまと逆玉に乗った主人公は浮気の果てに愛人を殺す。
事件に巻き込まれたように見せかけるため、
無関係の隣人も一緒に殺してしまうのだ。
その後
殺されたふたりが彼と会話をするシーンがある。

なぜ殺したのか、問いつめられる主人公。
自分を守るためにしかたがなかった、という彼に
「無関係なのに、私は巻き添えをくった」
と老婆は訴える。
それに答えて彼は言う

「戦争でだって、無実の人々が巻き添えをくって死んで行くじゃないか
 それと同じだ」

暴論だ、と思う。
しかし、事実でもあると思う。
この不公平さが当たり前の世界において
運がいい方の地域に暮らす私たちは、知らない場所で無実の人々が
巻き添えになって死んでいくのを、見なかったことにすることで
自分の生活を必死で守っているのだ、と言えるからである。



『セプテンバー・テープ』のラストは
反則とも言える、アメリカの自己正当化で終わっている。
ダイイングメッセージが、毎日量産されている世界で、
たかが音声記録に残ったくらいで、
いつまでも印篭みたいに出すのは、いい加減やめてもらいたいが、
このくらいしないとアメリカは自分達の生活を守ることができないのかもな、
とも思うのだった。

そうして、それは普通に誰もがやってることなのかもしれない、
とも思うのだった。
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by mekara_uribou | 2006-08-29 01:43 | ツッコミ上等映画レビュー


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